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■「丸亀うちわ」の最盛期

※写真提供 / 矢野団扇(株)・香川県団扇商業協同組合

最盛期の頃の丸亀駅。風情のある駅舎に出荷されるかご詰めされた「うちわ」が並んでいました。年中、このような風景だったそうです。 出荷準備をする町の風景。
オフセット印刷機。…とは言ってもほとんど「手刷り」です。 お祭りでもしっかり「竹うちわ」を持って町中を踊り歩きました。
昭和47年3月、市民会館で「ふるさとの歌まつり」が開催されました。これはその時の「うちわづくり実演」です。
この時テレビ放送があったようで、この写真以外にもテレビカメラが入ってリハーサルをしている様子など残っています。
この時の司会はNHKのアナウンサー宮田輝、ゲストは三橋三智也という豪華さ!!

現在も「丸亀うちわ」と言えば「商店や企業の名前を刷り込んだうちわ」として認識しておられる方も多くおられます。そのため扇風機やクーラー、あるいはプロパンガスなどの普及で家庭内で「うちわ」を使う機会が減っても、丸亀うちわは「広告物・販促物」「記念品」として残ってきました。

 多くの技術が生み出されていく中、昭和8 〜10年(1933〜1935年)には、待望の「名入れ印刷機」が登場しました。それでうちわの竹骨に和紙を貼った後の「名入れ印刷」が可能となり、既製品の作り置きをしておく事で、早期受注(短納期対応)が可能となり、 全国各地の張り立て業者も次第に丸亀の既製品を使用するようになっていきました。
 しかし、昭和13年(1938年)以降、戦時の人手不足、資材不足により生産は徐々に減少し、昭和初期まで「丸亀うちわ」の主体を占めていた「女竹丸柄うちわ」は価格的に不利になり、一部業者を残し「平柄うちわ」中心の体制へと移り変わっていきました。 それから昭和30年代(1955年)にかけて「丸亀うちわ」は最盛期を迎え、丸亀はうちわの生産・出荷で賑わいます。
今も当時をよく知る職人さんが残っており、その当時の街の賑わいを懐かしく語ってくれます。子供の頃から家業のうちわづくりを手伝い、一家総出でうちわ産業を支えていました。