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「丸亀うちわ」の3つの起源
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「丸亀うちわ」は寛永10年(1633年)に金毘羅大権現の別当、金光院住職宥睨(ゆうげん)*が考案した「@渋うちわ」(男竹丸柄うちわ)、1780年代に丸亀藩の地場産業づくりとして奨励した「女竹丸柄うちわ」、1880年代に富屋町の卸問屋が「奈良うちわ」に範を採る「塩屋平柄うちわ」を基に、他のうちわ産地の要素が融合してできたのが、現在の「丸亀うちわ」です。
*宥光(ゆうこう)という説もあります

丸亀の旅僧が、九州で一宿のお礼にうちわの製法を伝授したのが「熊本来民(くたみ)うちわ」の始まりと言われています。これが慶長5年(1600年)と言われていますから、丸亀うちわの技術は、江戸時代までに既に確立していたと考えられます。

丸亀では永く「うちわの竹骨」の製造を行って全国のうちわ産地に出荷していた歴史があるため、またこの地にうちわ職人が多く在住していたために各地の特色あるうちわを丸亀で製造する機会が多かったので、他の産地の要素が「本来の丸亀うちわ」に融合されるようになりました。そのため、現在では、丸亀でできる総合的な竹うちわを「丸亀うちわ」と呼んでいます。

「丸亀うちわ」は、江戸時代は「武士の内職」として、また明治以降は「丸亀の地場産業」として発達してきました。現在は、全国竹うちわ生産量の8〜9割のシェアを占めています。

「金毘羅・@渋うちわ」は、「丸亀うちわ」のシンボルです
他の産地のうちわとは異なり、生活財として「節が途中にある骨 … 強さ・しなやかさ」、「柿渋 … 防虫・耐久性」、「元々は漁で使われた網 … 廃棄物の再利用/強さ」が特徴です。